創作物語工房 掲示板
2008/08/19 (Tue) 18:34:43
天狗とのやりとり、いいですねえ。
まじめではあるのですが、何かとってもキュート。
キャラが立っていて、引き込まれます。
面白かったです。
暑いので、体に気をつけて作品を進めてくださいね。
また忘れた頃にメッセージしますねえ。
アベルさま - 栗田 Home
2008/08/23 (Sat) 11:41:16
こんにちは!
盆は休みでしたが、盆明けにいろいろと盛りだくさんで連載もお休み、一週間突っ走ってきましたぁ。
天狗、なかなか面白いやつです。こんなやり取りをしてくれるとは思いませんでした。
ありがとうございました!
無題 - ネコ
2008/08/09 (Sat) 11:56:36
17話読みましたニャ〜
いきなり続きがものすごく気になる展開(^^;;
(リンクのご報告が遅れてごめんなさいm(_ _)m)
ネコさま - 栗田 Home
2008/08/10 (Sun) 21:40:52
こんばんはー。
いつもありがとうございます。
リンクもありがとうございました!
なお、気になる続きはまた来週(笑)
……なのですが、執筆再開したので先も書かないと。
あと3回でネタが切れてしまいます……(^_^;)
ありがとうございました!
13、14話 - ネコ
2008/07/21 (Mon) 15:46:49
桜楓姫譚、14話まで読みました。
天狗のカヌヤ、命じられてサワネの子分になっても一筋縄ではいかない、けれど憎めないキャラですね(^^;
マイペースで進めてくださいニャ〜
ネコさま - 栗田 Home
2008/07/21 (Mon) 23:28:04
こんばんは。栗田です。
とりあえず今のところ一番好き勝手に動き回ってるのがカヌヤですね。これからどんなことをやらかしてくれるか、要注目の赤丸急上昇です(笑)
作者としても活躍が楽しみです。
ありがとうございました!
ブログ復活したぴょん - イトウ
2008/06/21 (Sat) 17:07:44
タイトルですべてを表すことが出来ました。
これからもよろしくお願いしますですm(−−)m
イトウちゃん - 栗田 Home
2008/06/24 (Tue) 01:36:43
こんばんは。
ご報告ありがとうございます。
連載だけは書きあがってる部分を晒していく予定ですが、基本的にうちは活動停止です。
すれ違いですねー(^_^;)
6、7話 - ネコ
2008/06/17 (Tue) 22:30:44
桜楓姫譚、私も6話、7話の山の自然の情景描写がとても巧いなあと思いました。そして、7話の幻想的なシーンもまぶたの裏に浮かぶようです。続きが気になりますニャ〜(^^;
ネコさま - 栗田 Home
2008/06/18 (Wed) 07:16:36
こんにちは!
感想いただきありがとうございます!
7話の部分は書いているうちにあのようなシーンになってしまって、書いた本人もびっくりでした。
これからまだまだ続きそうな雰囲気なので、よろしければどうぞお付き合いください!
ありがとうございました!
桜楓姫譚 - アベル Home
2008/06/13 (Fri) 19:27:07
六回目まで読みました。
やっぱり栗田さんは情景描写がうまいですよね。
ブログでいろいろな方の小説を読みますが、今ひとつその世界に入れないものがあり、何故だろうと思っていました。そうなんです。情景が思い浮かばないと、入り込めないのですね。私も自戒します。はい。
アベルさま - 栗田 Home
2008/06/14 (Sat) 16:20:31
アベルさん、こんにちは。
桜楓姫譚を読んで下さりありがとうございます!
今回は長月さんの描いて下さったイラストも情景を思い描く上での大きな力になっているのではないかな、と感じます。
文章の面では自分が視覚優位なので、目に見える部分ばかり書いてしまうのですが、目に見えない雰囲気まで表現できるようになりたいな、と感じています。
アベルさんのところでも連載していた「風界の軌跡」完結ですね。おめでとうございます。また後ほど感想差し上げに伺います。
ありがとうございました!
お邪魔します - ネコ Home
2008/06/11 (Wed) 01:25:05
「屋根裏部屋のまじない師」拝読しました。
主人公のティリエちゃんが初々しいキャラクターで好感が持てました。自分の恋はやっぱり占えないのかニャ〜(^^;
すごい長編連載に挑戦されてますねー。ボチボチ読ませていただきます。また遊びにきますニャ〜
ネコさま - 栗田 Home
2008/06/12 (Thu) 10:13:38
こんにちは。
「まじない師」読んで下さりありがとうございます。
やっぱり自分のことは占えないんじゃないかな、なんて思います。占いってどうも何かを決断したりするときに外からの要素としてポンと背中を押すようなものとして感じます。だから自分で納得しちゃうのなら占う必要はないし、納得できないならいくら占っても意味がなくなってしまうから、結局自分は占えない、となるのかなぁ、なんて思いました。(むむ。自分でも書いていてよく分からない文章になってる(^_^;))
長編の方もよろしければどうぞ!
また遊びに来てくださいねー!
お久しぶりです - 鏡一郎
2008/06/03 (Tue) 23:58:54
お久しぶりです。鏡一郎です。
やっとネットの世界に復帰しました……
や、ほんとすいません。
5月12日には復活すると息巻いておきながら、
ふたを開けてみればコレでした。
今日からネットに接続できるのですが、
まだホームページは復活してません。
明日以降、復活できるんだそうです。
言い訳らしきものをブログに書いてます。
新しい土地で一人寂しいので、
アクセスとかしてくれると嬉しいです。
喜びに満ち溢れます。
ttp://nahcohs.blog111.fc2.com/
では。
鏡一郎さま - 栗田 Home
2008/06/04 (Wed) 03:12:18
こんばんは。
ホームページ復活おめでとうございます!
結構引っ越しってネットとかの通信も含めていろいろと手続きが手間だったりしますよね。
日付がとっくに変わってますので復活した様子をしっかり見させてもらいました。
仕事も忙しいと思いますが小説楽しみにしてます。
お知らせ、ありがとうございました!
一緒にだらだら、考えましょ - イトウ
2008/05/30 (Fri) 19:11:52
携帯サイトで発表されるであろう、くだらない恋愛小説を書いている人が、
「小説については何も考えていません、パソコンの前に座ったら言葉が勝手に出てくるので、それをできるだけそのまますくい取るように書いています」
と言っていてもぼくはなにも驚かず、
「ふーんやっぱりね」
と思うのですが、栗田さんがそういうことを言うとぼくは、
「ほんとに?」と思ってしまいます。「ほんとに、小説を何も考えずに書こうと思ってるの?」と。あるいは「何も考えず小説を書けるんだったら、小説を書いている人は苦労しないんじゃないの?」とも。
しかし栗田さんは「何も考えない」ということを「考えて」いるのであり、それは当たり前のことなのですが。
文体は意識して作り出すものではありませんし、意識して作ってもそれは別の誰かの文体を模倣しただけになってしまいます。
ですから文体については「よし、意識して書こう」という気持ちをそれほど働かせる必要がないのかもしれません。
ただ、文体=その人なりの表現を使って書くことである、という考えが(おそらく無意識に)栗田さんには前提としてあるのかもしれませんが、文体は文章そのものの個性を指すのではないと思います。文体とは、文章に内在されるリズムであったり(これは決してテンポのいい文章、テンポの悪い文章というものではありません)、小説内の情報の組み合わせ方がその人特有のものであったりというものではないのかしらん、とぼくは思っています。
わざと個性的な比喩にしようとすることが、文体を形作るものではありませんし、栗田さんはそこを回避するために「何も考え」ず、あえて個性的な比喩などを使用しないように心がけてらっしゃるのでしょうが、いささか、文体=表現の仕方という意識があるのではないか、と疑問を持ちました。
小説を操作する、ということも回避しようとされているのだろうと察します。その素朴さはそのまま小説に反映されているのですが、その素朴さが「どこかで見たような」ものを生んでいるのも事実だと思います。
栗田さんの小説の題材は貧困で、いつも同じようなことばかりを書いているのだけれど、何度も書くという反復によって「誰かが書いた」シーンを再演し、その再演されたものに対する素朴な書き方が栗田さんの歪みというかズレを生み出します。
しかしそのズレが生まれるには結構分量が必要であって、ふとした拍子に「あ、これは栗田さんの小説だ」というズレが出来ます。ということは、間違いなく栗田さんは「長編作家」なのだろうと思います。しかしそのズレが生じるまでは結構退屈で、作品を引っ張るストーリーのようなものも中途半端な感じだし、情報量で圧倒しているわけでもないので、ライトノベルのような読み方で読むと、間違いなく栗田さんの小説はつまらなくなります(そのライトノベルとして読んだときのつまらなさは、鏡さんが実に的確に指摘してらっしゃいますから言いません)。しかしそう誤解される(ライトノベルのようなものと誤解される)要素がたくさんあるのが事実であり、そもそもファンタジーという枠組みからしてそう思われやすいです。
ですから、ぼくは、誤解されないようにはどうすればいいのか? というのが栗田さんの最大の課題であるように思われてなりません。これは安易に風俗をスケッチしたような小説を書けばいい、ということではありませんから、難しいことです。
栗田さんの持つ素朴さは「どこかで見たような」物語、場面を生み出すのですが、そこからではないとそれを反復することは難しいし、そこからズレが出来て作品が凡庸な地平から離陸することが出来ないから、はっきりとした打開策がなく、いかに読者をズレが生じるところまで退屈させずに連れて行くか、ということも考えねばならない、課題だろうと思います。
そのズレのおもしろさはどのようなものか、ということもしっかり考えねばならないのですが、それは簡単にいうと、「どこかで見たような」ものがズレによって、急に、びっくりするぐらい気持ち悪いリアリティを生み出すからだと思います。リアルということは、それ自体でおもしろいのです。これ以上は割愛します。
続き - イトウ
2008/05/30 (Fri) 19:13:18
ぼくも同じく、「本文が長すぎます」と蹴られてしまいました(笑)
以下、上の続きです。
あと、ジョン(ほんとうはガードナーと呼ぶべきですけれど)について。
小説を書くとき小説を書く者は、自分がこれから書こうとしているものに絶対の信頼がなければなんの役に立たない消費としてのフィクションにしかなりませんよ、というのがジョンの主張なのだけれど、例えば、幽霊を例に上げて栗田さんが返事してくださった内容にもレスポンスを出したいです。うまく行くかな(^_^;)。
例えばぼくが幽霊を書くとしたら。
幽霊の存在を小説の中で書くのだからそれは幽霊が存在する、ということを信じなければならない、といえば、一気にジョンの主張は揺らいでしまいます。これは卑怯な例でしょうか。いや、そうは思いません。幽霊は小説にじゅうぶんに書かれるべきものですから。
作者は幽霊についてその存在が「いる」「いない」という明確な答えを出して書き始めるとは思えません。これは答えの出せない問題だから、その「いる」こと「いない」ことが大事なのではないし。つまりそのことについては保留しといて書き始めることになります。その小説の中で幽霊が「いる」と書かれても、それは本当に「いる」ということをあらわしているのではなく、「いる」のだろうかという問いを発信しているのです。つまり「いる」か「いない」かどうかについての、基盤としての、「いる」なのです。それがそのまま小説としての基盤となり、そこを出発点として小説は小説としての運動性によって幽霊について思考される、そのプロセスが重要です。
栗田さんは小説に書くものはすべて、作者から自然に出てきたものでなければならないような考えを持ってらっしゃるけれど、自然に出てきたものが小説の中でリアリティを持つかどうかはまた別問題なのであって、必ずそればかりが重要ではないでしょう、と思いました。
ちなみに - イトウ
2008/05/30 (Fri) 19:19:35
ちなみに栗田さんはとても忙しそうなので、このスレに対するレスは不要です。
返信してくださるのなら、喜んで読ませていただきますけれど(笑)。
ありがとう! - 栗田 Home
2008/05/31 (Sat) 23:54:44
イトウちゃん、ありがとう。
やっぱり小説について、ああでもない、こうでもないと考えを巡らせるのは楽しいです。
忙しいとか言っても、やっぱり小説について考えるのは楽しい。ついついこっちを書いてます(笑)
最近の僕が考えている小説の書き方ですが、小説そのものについて考えるのは小説の執筆から離れている時であって、執筆をしている時は、からだの感覚で書いていく、そんな感じです。
僕の場合、実質的に時間を費やしてきた量としては小説よりも音楽の方が長かった(小説はやっと三年目だから)ので、音楽との類似点などをもってきた方が分かりやすいので、小説を考えずに書く、というのも音楽での良い演奏をしている時との状態との類似としてとらえています。
演奏をする時に、次の音をどう弾くか、などと技術的なことを気にしながら演奏していると、それはとてもつまらない演奏になります。もちろん、精密に曲の構成などを考え、それに適した演奏についての計画を組み上げて行き、忠実にその計画を実現することで、とてもすばらしい演奏をする演奏家もいますが、僕の場合はむしろ何も考えずに、指が自動的に動き、演奏する曲に没入しないと音楽にならないタイプでした。(もちろん、指が自動で動くようになるまでしっかり練習しないと、完全に曲が崩壊してしまい、だめなわけです)
ここまで書いて、普通の演奏もそうですが即興演奏のほうがたとえとしてはいいかも、と思いました。即興のセッションではそれまで演奏してきた曲の雰囲気や、周りの感じを受け取りながら、その場で内側から沸き上がってくる音を表現していきます。その時は、意識上の緻密な計算からは離れた感覚で、出てきた音も、やはり考えるというよりも、自分自身の内面からぽんと出てきたもの、という印象があります。このようなセッションで、下手に「こうしてやろう」という思考が介在すると、とたんに音が変わってしまい、演奏のおもしろみもなくなってしまうようです。
小説の執筆もこの即興セッション・アドリブなどと同じようにとらえて、執筆時にはできるだけ思考を介在させない、からだの感覚によるものを目指していました。もちろん、精密な思考の積み重ねによって成り立つ小説世界もすばらしいのですが、僕の場合はこれまでのところ、下手な思考は停止して埋没型のほうがおもしろいものになる、そんな印象があるので、そちらのスタイルを重点的に探っていこうと今のところ思ってます。
かなり大きな目標なので、そんなの絶対に無理っ! と、自分でも一瞬感じるようなところが余計におもしろく、それこそ執筆というものに一生をかけてもいいんじゃないか、と思わせるところです。
>いささか、文体=表現の仕方という意識があるのではないか、と疑問を持ちました。
指摘されて、ああ、そうだなと思いました。文体に対する捉え方が、狭く浅かったです。
まさに指摘された通りで、文体というよりも表現の仕方での個性的な比喩を回避する、という部分ではなかったかな、と感じました。
>ですから、ぼくは、誤解されないようにはどうすればいいのか? というのが栗田さんの最大の課題であるように思われてなりません。
まさにイトウちゃんの指摘された通りです。
題材の貧弱さは僕自身の貧困な要素によるもので、これは同時に今現在流通しているライトノベルとして読まれる傾向へとつながっているようです。
今流通しているようなライトノベルを自分が書けるか、ということを考えて見ると、そんなことは全然無理で(2006年ぐらいに試みて、目も当てられない結果になってますし)一部のお気に入りの作家さん以外は読むことも大変なジャンルになっています。
いわゆるライトノベルとして書くことはあまり考えないようにしています。作品の雰囲気としても「ライトノベルではないぞ」という感じが読んだ瞬間に読者にも伝わるようでないと、作品と読者のミスマッチが生じて、読んだ人にもおもしろくないものになってしまいそうです。
そのあたりをどんなふうに実現していくか、試行錯誤を繰り返していく中で何かつかみとっていこうと思います。
ジョン・ガードナーの話とかについても書きたいのですが、長くなってきたので今日は一旦これぐらいで。
また続き、話しましょう。やっぱりイトウちゃんと小説談義するのは勉強になるし楽しいです。
ああ、 - イトウ
2008/06/01 (Sun) 16:16:55
>小説そのものについて考えるのは小説の執筆から離れている時であって、執筆をしている時は、からだの感覚で書いていく、そんな感じです。
ああ、そういうことですか! なーる!
やっと栗田さんの考えていることの、ちょっとした部分が、わかりました(もしくは、わかったような気になりました笑)。
すばらしい返信ありがとっ。感動しました。
そして、とてもおもしろく読ませていただきました(^_^)